59歳の平均年収と仕事の本音
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50代全体|50歳|51歳|52歳|53歳|54歳|55歳|56歳|57歳|58歳|59歳みんなの平均満足度
平均年齢 | 59歳 | |
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平均年収※ | 600万円以上700万円未満 | |
総合平均 | [2.41点] | |
給料 | [2.37点] | |
やりがい | [2.6点] | |
労働時間の短さ | [2.11点] | |
将来性 | [2.25点] | |
安定性 | [2.74点] |
※あくまで、当サイトの投稿者の統計数値です。
59歳の仕事の本音一覧
全部で57件の投稿があります。(1~10件を表示)
職種 | 自衛官 |
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投稿者名 | 山あり谷あり 投稿日時:2024/08/15 05:18:48 |
年齢 | 59歳 |
年収 | 300万円未満 |
給料 | [1点] |
やりがい | [1点] |
労働時間の短さ | [2点] |
将来性 | [1点] |
安定性 | [1点] |
この職業のここが良い | 未成年隊員でも、飲酒と喫煙は公認。 堂々と呑み吸い出来る。 戦闘持久走大会時、バテた後輩の小銃を自分が持った事に対して、大会終了時に後輩から礼をされた。 自分の所属してた駐屯地は大多種の部隊が点在のため、中隊訓練外の臨時勤務で連隊以外の友好や情報共有が出来た。 (輸送隊、施設職種、高射特科 等) サバイバル感覚が、スリリング。 (当時、自分も含め6人中隊に同期配属され、その1ヶ月後に1人辞め、更に数ヶ月後に又1人辞め、1任期終了近くに同期1人が第3病棟(精神病院)に無期限入院され、1任期終了にて同期2名が満期退職。 最終的に2任期継続は自分だけ。 |
この職業のここが悪い | 例え、未成年隊員であっても、犯罪に手を染め、逮捕された場合には実名で報道される。 当時、自分の所属してた中隊に2名 第3病棟(精神病院)に入院隊員がいて、クビどころか精神病院入院でも、給料は貰ってた! (不公平過ぎる!) 真面目な者は人格が狂う。 (1984年2月と近年、実弾射撃訓練時に乱射殺人事件が実例) 長期間、自衛隊に勤務してると、沙婆から淘汰される。 自分が所属してた中隊は隊舎3階でしたので、階段での資材運搬がしんどい。 おまけに所属営内班の天井から雨漏りがしてた。(全く修繕されなかった!) 虐めの対象にされたら、虐めが止まらない。 中隊営内班にも、当たりハズレがありますが、自分の居た営内班には、暴力を行使する先輩が多数居た! (特に自分の先輩にあたる者で、勝新太郎に似た怖い先輩で、チョットのミスでも、自分の顔面に2リットルのペットボトルをぶん投げられた。 ただ飯食べて、先輩や上司には決して文句は言えない。(奴隷同然) 外出に不自由。(当時は外出申請は3日以上前から、帰隊門限時間は22:00迄。) 自衛隊を辞めたくても、周囲の同意や親の承諾が無いと辞めさせてくれない。 結論 だいぶ、給料、待遇、環境面が自分が所属してた時代より改善されてる様ですが、組織体質は今も昔も改善されてません。 そもそも、自衛隊入隊者は金銭上、貧しい者が入るところです。 金に裕福や余裕の有る者は入隊しません。 頭が悪くても、勉強が出来なくても、金が有れば、一流は無理でも、三流校への進学も可能だし、起業や実業も可能です。 それでも、自分もそうでしたが、貧しき者には、選択肢は有りません。 外見から見る自衛隊は、決してクリーンな世界の内情では有りません。 これから述べる事は実話ですが、当時後期教育隊時代に1人居ましたが、その者はヤクザに追われて自衛隊に転がり込む様に入隊して、自衛隊を隠れ美濃替わりに利用して、消灯後、営内班で覚醒剤を射ってた同期が居ました。 この様に自衛隊内部実態はダークで因果で道徳や常識の無き者達寄り集まりです。が、その者も1任期どころか1年も務まらず消えました。 又、この様な半端者は淘汰され、消え去って一掃されるのも自衛隊の環境です。 テレビ取材では、格好良いところだけを紹介してますが、実際は強い者や悪い奴が君臨出来て、弱い者や力の無い者の末路は辛抱と泣き寝入りが悲惨ですので、入隊すると、大抵の者はショックと後悔に狩られます。 最後に! これだけは、言わせてもらいます。 辞めたいと思われてる残留自衛官も居ると思いますが、 自衛隊を辞めても、人間(自分自身)は変わりませんよ! 斯くいう、自分も自衛隊勤務3年しか有りませんので、何十年も定年迄勤務してた者からして見れば、自分なんかは爪の先程度しか自衛隊を判り得ませんけど、ですが、これも人生勉強の一貫だと自負してます。 自衛官入隊→勤務→退職 人生に後悔有れど、無駄は有りません。 これから、自衛官に入隊をする、しないを検討してる方、 現役自衛官を辞める、辞めないに困惑してる隊員さん いずれにしても、自分自身の信じるべき道を走って下さい。 この記述文を参考に朗読して頂ければ幸い様です。 |
仕事内容の詳細 | 自衛官を3年程、普通科連隊に勤務してまして、40年近く前に除隊(依願退職)しました昔の元自衛官です。 自分が当時自衛隊を勤務してました1983年〜1986年間の現況を少しだけ説明します。 普通科連隊三代行事の一種、戦闘持続走の中隊代表選手として、2度抜擢されました。 戦闘持続走とは? 各中隊A,B,C,Dチームが有り、一個チーム10人体制でAチームが速く、Dチームが遅いランクでして、自分は2回ともBチームでした。 各チームA〜D迄順番に一周5km位の駐屯地内周を10人団体 で走覇します。 当時、使用してた64式小銃の本体重量は4.3kg有り、団体持久走中、バテた者が出たら、その隊員の小銃を速い者が代わりに持ち、バテたモノはレンジャーロープで胴体に結ばれ、引っ張られ、バテた者は地獄ですが、小銃2丁持ちも地獄です。 自分も小銃2丁持って走った事が有りました。 重い装備は、小銃と水筒(1リットルサイズ満水状態)で そんな、こんなで、10人団体でスタートからゴール迄のタイムレースで中隊どうし競い合う行事でした。 次に死にかけた事 1984年6月に10日間、陸上自衛隊なら判ると思いますが、普通科連隊最大演習RCT(連隊戦闘団検閲)参加にて、全身フル装備で険しい山の中を110km行軍+防御(穴掘り)を10日間寝ないで実施した事。 マジで死ぬかと思いました。 当時の中隊営内班は、一営内班10人位で2段ベッド5〜6台設置され家電品はテレビだけで、クーラーどころか扇風機すら有りませんでした。 更に、電気代は営内班ごとに請求され、尚且つ営内班で飲むコーヒーやドリンクは隊員から班会費を徴収されてました。 |
自衛官に対する評価者の属性 | 過去にこの職種で働いていた |